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①子どもとの関わり

 

『スタッフは子どもの後ろから』

実際の立ち位置のことを言っているわけではありません。

いや、立ち位置も後ろからついて行くぐらいがちょうどいいのですが、もっと大切なのはそうした心持ちでいるということ。

子どもたちがすること、話すこと、思っていることにそっと後ろから寄り添う。

そんな保育をしたいものです。

『「やりたくない」もひとつの自己表現』

何かの活動をした時に、ある子が参加しなかったとします。

私たちはそうした意見も尊重したいのです。

その子が参加しないのには理由があるはずです。

面白くなさそう、分からないから不安、他にやりたいことがある。どんな理由であれ、その子自身が決めたことを優先してあげたいです。

ただ、そうした子を全く誘わないわけではありません。

おうかがい程度の声掛けはしたいですし、途中からやりたそうにしているのを見たら、そっと声をかけてもあげたいです。

決して放置はしません。

『ケンカは子ども同士の魂のぶつかり合い』

ケンカをしている子どもを見ていると、おのれの全精力、全人格でもって相手に気持ちをぶつけているように見えます。

自分の全力をぶつけ、相手もまた全力でぶつかってくる。

でも、ひょんなことから急に仲直りして遊び出す。

そんな光景も幼少時に特有なものでしょう。

年齢があがるにつれて、そのようなケンカはできなくなります。

したとしても、その後関係が以前のように修復されるかは疑問です。この時期にしかできないケンカをたくさんしてほしいと願います。

ただし、大きな怪我は避けなければいけません。

その危険性がある場合はスタッフが介入します。

また、これは収拾がつかないと判断した場合も介入します。

ケースバイケースです。


Photography by yu yamanaka
Photography by yu yamanaka

②自然の中で保育をするわけ

 

『子どもの何かを開ける』

実感として、自然の中に入ると子どもの中にある普段は閉じられている何かが、パカッと開く気がします。

その何かが開くと、子どもの目が輝き、生き生きと遊び出します。そうした姿を見るだけで、自然の中っていいなぁと思えます。

『千差万別な環境』

自然の中では昨日と今日で同じというものが何一つありません。

植物は日々成長し、花を咲かせ、やがて枯れます。

虫もどこにいるのか分かりません。

季節によっている虫も変わります。

昨日までなかった実が、今日はできていたりします。

日々の変化。四季の変化。

そうした変化が子どもたちを飽きさすことはありません。

自然は子どもたちにとって好奇心をくすぐる宝庫なのだと思います。

『思い通りにならない天候』

自然の中、というより外で遊ぶということは、暑い日があれば、寒い日もあり、雨の日があれば風が強い日もあります。

言わば厳しい環境です。

そうした自分たちの思い通りにならない天候を相手に、柔軟に対応すること。しかもそれを日常的にするということは、とてつもなく頼もしいことです。

子どもたちと一緒にワーキャー言いながら、雨や風とたわむれたいものです。


③宇治田原という町で

 

『昔ながらの』

野菜作り、田植え、草木染め、竹細工などなど。

子どもたちに経験させてあげたいことがたくさんあります。

自然にあるものを使って、自分たちで何かを作り出す。

それは一昔前では当たり前だったこと。

今、そうした生活の知恵が生活の中にありません。

こうした活動はきっと楽しいはずです。

単発のイベントとしてではなく、やまぼうしでの生活の日常に、こうした活動があればいいなと思っています。

『地域の人たちと共に』

私たちは、この宇治田原という町が好きです。

宇治田原で出会った人たちも好きです。

そうした地域の方々と触れ合う機会を多く持ち、地域の方々とともに子育てができたらいいなと思っています。

それは講師として来ていただくこともあるでしょうし、散歩中にいつも会い挨拶をするという関係もあるでしょう。

たくさんの人が、やまぼうしの子どもたちの成長を見守ってくれるという想像をするだけで幸せな気持ちになれます。